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HOME > > [PR] > 実況で振り返る名レース > 実況とともに振り返る名レース ダービー編(93年・98年・99年) RSS   Admin NewEntry Comment
競馬やら野球やらフフホトでの生活やら適当に書いてます。POGの話題が中心です。
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というわけで、印象に残るレースを競馬実況と併せて
何回かに分けて紹介したいと思います。

競馬場で観戦するのがもちろん1番だと思いますが、
名実況があればテレビで観戦するのも悪くないと思います。
印象に残る実況はレースそのものまで記憶に留めてしまうものですからね。
本当は別の形で1回の記事で書きたかったんですが、
思い出し始めたらとても記事1回分じゃ収まらなくって(笑)
実況の台詞を見て当時の興奮を思い出して頂ければ幸いです。


というわけで第1回ダービー編です。(=´ー`)ノどうぞ



1998年  勝ち馬:スペシャルウィーク

「セイウンスカイがここで満を持して先頭に立った!」
「キングヘイローは下がっていく!
その後ろから間を割ってスペシャルウィークやって来た!」

「あっという間に!並ばない!並ばない!
あっという間にかわした!あっという間にかわした!」

「セイウンスカイ、ダイワスペリアー、
インコースからメジロランバート!
夢を掴んだ武豊!!」

私の競馬の原点とも言える、スペシャルウィークが勝ったダービーです。
競馬界の七不思議とまで言われた「武豊はダービーを勝てない」
ですが、このレースでユタカはめでたくダービージョッキーとなりました。
それだけに最後のところは特に印象に残っています。
皐月賞で捕まえられなかったセイウンスカイを
あっさり捕らえた時(3つ目の実況)は強い!と思いましたね。
最後は後ろで繰り広げられる2着争いを尻目に5馬身差勝ち。
勝負が決まったらなるべく追わないようにするユタカが
最後までずっと追い通しだったのがとても印象的でした。
途中でムチも落としてしまいましたしよほど興奮していたのでしょうね。

3強の一角キングヘイローはスタートからかかってハナを切った挙句直線で失速。
福永騎手、ダービーで初めて人気馬に乗ったということで、
相当なプレッシャーがあったのではないでしょうか。


1999年  勝ち馬:アドマイヤベガ

「ナリタトップロード、トップロード!外からアドマイヤ、アドマイヤ!
アドマイヤだー!!アドマイヤベガ!」

「母ベガの二冠達成から6年!」
「またもその息子が輝く一等星に!アドマイヤベガ!!」

このレースも凄かったですよねえ…。直線の3強の叩き合い。
特に勝ったアドマイヤベガの4角14番手からの鬼脚はシビれました。
ダービー連覇がかかるユタカが最初のコーナーを
後ろから2頭めで通過した時は本当に大丈夫か?と思いましたが…。
並んでから最後にグイッと伸びてクビ差交わした時の
「アドマイヤだー!!」が特に印象に残っています。
人気馬に乗ってもあの競馬ができるのはやっぱり凄いと思いますね。
負けたトップロードの渡辺騎手の涙も印象的でした。

ところで、やっぱり競馬は3強が1番面白いと私は思いますね。
このレースは1972年のロングエース・タイテエム・ランドプリンスのダービーと
1993年のBNWと並んで、最も熱いダービー3強の戦いだと思います。


1993年  勝ち馬:ウイニングチケット

「白い帽子ナリタタイシンもやって来た、外からナリタタイシン、
ナリタタイシン!内をついてビワハヤヒデ!」

「人気の3頭の競馬!」
「先頭はウイニングチケット、ウイニングチケット、ウイニングチケット!」
「柴田これが念願のダービー制覇ー!」
「柴田政人勝ちました!悲願のダービー制覇」
「ウイニングチケットで遂げました!」


1993年BNW3強クラシック。
B=ビワハヤヒデ N=ナリタタイシン W=ウイニングチケット
あまりにも有名な柴田政人のダービー初制覇なったレースです。
「ダービーを勝ったら引退する」という台詞が有名ですが、実際のところは
「ダービーを勝ったら引退するくらいの気持ちで乗らないと」と言ったのが
前半部分が一人歩きして既成事実のようになってしまったとか(爆)
結果的に本当にそのようになってしまったのが何とも皮肉ですね。

この3強は本当の意味で3強だったのだと思いますね。
最強世代と呼ばれた72年には他にイシノヒカルなどもいて、それを加えて
4強と見る向きもありますし(ダービー時点では3強でしたが)、
99年はアドマイヤベガが皐月と菊で不完全燃焼だった上、
古馬になってからはレースに出ることなく引退してしまいましたし。
それに比べてこの3強はクラシックで常にトップ争いを演じて
それぞれ1冠ずつを分け合い、
短い間でしたが古馬になってからもトップ争いを演じました。
確かに古馬になってからはビワの独壇場になってしまいましたが、
何だかんだで天皇賞・春とオールカマーではタイシンとチケットが
対抗馬に挙げられ、それぞれきっちりビワの2着に入っていますしね。
脚質もビワ=先行 タイシン=追込 チケット=まくり と三者三様ですし、
按上は岡部と武と柴田という当時のトップジョッキー3人。
本当にいろいろな意味で、この3頭は3強の決定版だったのだと思います。



とりあえず今回はこの3レースだけで…。
やっぱり思い入れあるレースのことだとつい長くなってしまいますね(笑)
本当は○年のダービー、誰が勝った、だけで終わるつもりだったんですが(爆)

思いのほか長くなりそうなこのシリーズ、
よろしければしばしの間お付き合い願います。


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今も続く七不思議…
いいテーマですね。ダラダラと続けてください(笑)
この3回のダービーを古い順に振り返るとやはりウイニングチケットのダービーはトニービン好きにはたまらないですね。あそこでウイニングチケットが勝たなければトニービンにも伊藤雄二師にも傾倒することはなかったですから。ちなみにこの時はオークスで買ったベガの単勝の払い戻しの15000円を何のためらいもなくウイニングチケットの単勝に突っ込みました。純粋だったな、あの頃は…(爆)
ところでこの時の柴田政人騎手はダービーまでに3つ勝って余勢を駆った印象がありました。その一方で東京ダービーの日にかの的場文男騎手は条件戦の騎乗依頼を断って東京ダービー一本にかけたもののダントツ人気のブルーファミリーで5着に敗れて、そしてあれから15年過ぎても今だに東京ダービーだけは勝てずにいます。勝ちグセをつけることの大切さを感じたダービーでしたね。
以下、続く…
藤沢雄二 URL 2008/06/12(Thu)13:47:07 編集
その続編…
で、1998年は馬券的に悔しい年でした。スペシャルウィークで鉄板と思っていたところにパドックでダイワスペリアーが物凄く良く見えてコッソリとしかしガッツリと5-15の馬連を買っておりました。スペシャルウィークが抜け出して焦点が2着争いになったところでジリジリと伸びてくるオレンジの帽子が!デキた♪と思って「菊沢!」と叫んだ次の瞬間にボールドエンペラーに2着をすくわれました(涙)ただこの話には続きがあって、あまりの悔しさに最終レースでいちょうSでエアグルーヴの3着でたジェラスガイが出ていて、先日のフラムドパシオンのように長期休養明けだったのですが、とにかくそのジェラスガイと藤沢和厩舎の馬を1点だけ買って見てたらズバッと当たって万馬券のリベンジを果たしたことで記憶に残っています。
アドマイヤベガの年は、この馬のデビューの時から「男馬なのに、そのまんま“冠+ベガ”って名前をつけてどうすんだよ」とずっと文句を言ってましたね(笑)もっともこの不満はアドマイヤグルーヴにも引き継がれるワケですが…。
で、アドマイヤベガが勝ってホッとしたと同時にテイエムオペラオーを強いと思ったレースであります。あくまで個人的な話ですが2000年の年間8戦8勝のテイエムオペラオーについては何一つ強いと思ったことがありません。テイエムオペラオーを評価できるのはこのダービーと、グラスワンダーとスペシャルウィークにわずかに及ばなかったその年の有馬記念だけですね。異論はあれど本当にテイエムオペラオーが凄かったのは共に3着だったこの2戦だと断言できます。
あ、これだけ長々と書いて実況に何一つ触れてません(爆)このシリーズが天皇賞にたどりつくのを楽しみにしています。
藤沢雄二 URL 2008/06/12(Thu)14:11:48 編集
藤沢雄二さん
ありがとうございます。
元々杉本節でこの世界に興味を持ったもので、
いつかはこんなのがやりたいなと思っておりました。
冒頭では数回に分けてと書きましたが、
それだけではとても終わりそうにありません(笑)
何十回になるか分かりませんがダラダラやって行きたいと思います。

そうですね、後ろから勢いよく来たナリタタイシンが直前で止まってしまっただけに、 いい脚を長く使うというトニービン産駒の特性が余計に際立って見えました。
柴田騎手も最後(結果的に)にして最大のチャンスで最高の騎乗をしたと思います。
的場騎手はまだ東京ダービー未勝利なんですか!
ユタカが日本ダービーを勝てなかったのはたかだか10年間くらいですし、
そちらのほうがよっぽど不思議ですよね(笑)
レースに挑む心構えは人それぞれですが、
やはり勝負の“流れ”というものはあるのだと思いますね。

1998年のダービー、それは悔しいですねえ。
ダイワスペリアーはかなりの人気薄だっただけに
悔しさもひとしおだったのではないでしょうか。
最終で取り返せたので傷は浅くて済んだのでしょうが、
それでもやっぱり悔しいものは悔しいですよね。
精神衛生的には来ないならいっそ惨敗してくれた方が良いのかもしれません(笑)

ベガと言ったら琴座に織姫ですからね(笑)
確かに男馬らしくない名前かもしれませんね。
そのでんで行くとアドマイヤグルーヴの初仔を
ヒゲの総帥が持つことになった場合
またアドマイヤグルーヴと名付けることになるのかもしれません(笑)
んなわきゃねーだろ!(*`◇´)=○☆)゚o゚)/ バキッ!

テイエムオペラオーに関しては私も同意見で…と言うか、
98年クラシック世代が大好きなので、心情的に認めたくないという…(苦笑)
スペシャルやエルコンドルが現役を続行していたら、
グラスの体調が万全だったらあの8連勝はなかったと信じて疑いません。
相手関係がどうであれ8連勝したのは事実ですので、
それ自体は認めないでもないですが、それをもって
オペラオーを最強と見るのは絶対違うと主張させていただきます(笑)

天皇賞!
もちろんあの天皇賞の実況もレースともども深く記憶に刻まれております。
先にクラシックをやってから古馬をやろうと思っていますので
辿り着くまでちょっと時間が掛かると思いますが、気長にお待ち下さい<m(_ _)m>
チョルモン URL 2008/06/12(Thu)18:21:10 編集
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チョルモン
年齢:
38
HP:
性別:
非公開
誕生日:
1986/02/07
趣味:
競馬 野球 ビリヤード ボウリング テニス サッカー観戦 ゲーム 漫画 音楽鑑賞 料理 etc.
自己紹介:
1986年仙台生まれのエセ関東人。7歳時家の都合で中国内モンゴルへ。1年半の滞在でモンゴルにすっかり目覚める。以後単独で2度ほど留学。総滞在期間は約5年。5年も中国に居たくせに、中国語は日常会話程度しか覚えられず。モンゴル語だけ堪能に。初対面のモンゴル人に外国人だとバレたことがないのが自慢。現在は内モンゴルのフフホト市に潜伏中。フフホトでの生活も合計10年目に突入。

競馬歴:1996年頃から
1番好きな馬:スペシャルウィーク
1番好きなレース:97年天皇賞(春)
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