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競馬やら野球やらフフホトでの生活やら適当に書いてます。POGの話題が中心です。
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そもそも何故内モンゴルに行ったのか。これは私にとっても永遠の謎です(笑)

親父の仕事の都合で連れて行かれた、ということだけは分かっていますが、当時7歳の子どもに、仕事の詳細な部分が分かるわけありません。
とりあえず、フフホトにある「電子研究所」とかいうところと合弁会社をたちあげて一緒に何かをやろうとしたらしい、ということだけは分かっています。

ただ、最終的にそことは喧嘩別れみたいな形になって日本に戻ったので、親父もその時のことに関しては一切話そうとしないんですよね。
って、聞いみたこともないですけど。
ただ、以後何度もフフホトには行ったんですが、自分からは絶対に電子研究所の前を通ろうとしませんでしたから(タクシーとかで通ってしまうことはあった)、よっぽど嫌なことがあったであろうことは分かります。

そんいうわけですので、向こうでの生活を語る中で、そういう根本的なことを知らないために、ちょっと話がおかしくなることがあるかもしれません(何がどうなるのかは私もわかりませんが)。

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フフホト到着。

経過は端折ります。
まあぶっちゃけた話、張家口からフフホトまでの過程の記憶がすっぽり抜け落ちてるんですよ。
結構距離がありますから、車中で寝ていたであろうことは想像に難くないですが、それにしても車にいつごろ乗ったかという記憶すらないというのは…。
あるいは朝早く出たのかもしれませんね。
そんで寝ぼけたまま車に乗り、そのまますぐ寝てしまったと。

えー、そんなわけで、今回の旅の最終目的地、フフホトに到着。
まあ旅というより「引越し」なんですけどね。この地でその後1年半も過ごしたわけですから。


到着したのは例によって夜8時過ぎ。
車中で寝こけてたため眠気はまったくなし。
というわけで、皆で外に食べに行きました。

行ったのは、フフホトの駅前にある、「美国牛肉拉面大王(だったっけ?)」。
なんでも、最近(93年当時)できたばかりの外資系のラーメン屋だそうで。

よく日本のラーメンで、「本場中国の味」とか謳い文句にしているものがありますが、ぶっちゃけた話、日本のラーメンのほうが万倍おいしいです。
だいたい、上海以南や西部のほうのことは知りませんが、少なくとも私が行った範囲では、「本場中国のラーメン」とやらは見かけませんでした。
最近は(5年くらい前から)、フフホトでもラーメン屋がたくさんできて、私も3年前に留学した時は昼飯で毎食利用するなど、かなりお世話になりました。
が、少なくとも最初に行った時はラーメン屋なんか一軒も見かけませんでした。
それどころか、一般の食堂にもメニューとして存在しませんでしたし。


さて、牛肉拉面大王というからには、牛肉面とやらを食べて見ないわけには行きますまい。
ぶっちゃけ、メニューが牛肉面しかなかったんですけどね(笑)
どおりで店内見渡してみても、みんな同じものを食べているわけです。

というわけで、家族四人で四杯の牛肉面を頼みました(ちびこい弟は計算に入れず)。
味のほうは正直微妙…と食べた当時は思いましたが、あとから考えれば、「中国で」食べたラーメンのなかでは、けっこうまともだったと思います。
中国のスープ料理にしては珍しくだしをとってましたしね。
ま、だしガラの骨付き牛肉をトッピングに使うのはどうかと思いますけど。


ちなみにこの「美国牛肉拉面大王」、フフホト市内に2店舗あったんですが、私らがフフホトに来てから半年も経たないうちに両方とも潰れました。
半年後に何だか無性に食べたくなり、親父と二人で駅前に行ったら、すでに果物屋になっちゃってました(泣

味とか色々と原因はあったんでしょうが、やっぱりちょっと値段が高かった感じがします。
当時のフフホトでは、ご飯が一杯5角(6円)。うどんが一杯8角(10円)。バイズ(パンみたいなもの)が一個3角(4円)でしたから、一杯3元(39円 いずれも当時のレートで)というのは、いかにも高い感じがします。
その高値が問題にならないほどおいしければよかったのでしょうが、そこまでおいしいってほどでもなかったですからね。

いずれにしろ、マックのハンバーガーや、吉野家の牛丼が10元や20元という価格設定で店を出している今とでは隔世の感がありますね。


ちなみに、この次ラーメン屋をフフホト市内で見かけたのは3年後、11歳の時、2度目の留学中でした。
ま、その話はまた今度にします。







…長かった。
これでようやく本編に入れます…。

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昨日に続いて更新。
さくさく行きましょう。


北京に泊まった翌日、起きたのは6時ごろでした。
普段は起こしても起きないのに、何故こんな時は早くに目が覚めるんでしょう。
学校に行かなければならないとか、そういったことがない時くらいゆっくり寝てればいいのに。

朝起きてすぐ、顔を洗えと言われて洗面所に行きました。
で、その洗面所に、恐らく歯磨き用として備え付けてあったコップを割ってしまったわけです。
ただ、全部を落したわけではなく、フタが二つに割れたのと。取っ手がとれた、くらいで済みました。
…結局弁償する額は粉々にしたんだとしても変わらないんですけどね。


それにしても…、何でこんなどうでもいいこと覚えてるんでしょうね?


午前中は適当にまったりして、宿をあとにしたのがお昼ちょっと前。

中国のホテルって、イン・アウトの時間が大抵のところでは正午で区切られているんですよね。
日本は10時・15時ですが。
この点に関しては、素直に中国のほうがいいなあと思います。

道中、それほど飛ばすでもなくトロトロ走るでもなく、適当な速さで走り、夜9半時頃、張家口に到着しました。
…って、こうして改めて文章にしてみると遅いですね。
北京から張家口まで9時間以上かかるってのは。


張家口で泊まったところは、かなりまともなホテルでした。
北京で泊まったところがちょっとアレだったので、よけいにそう見えたのかもしれませんね。
もっとも、北京と違い、外国人の宿泊が許可されているホテルなんてそう何軒もなかったでしょうし、それらは当然並み以上のレベルにあったはずですから、まともに見えたのも当然でしょう。

食事に行くか議論するも、ずっと車に乗っていて皆疲れていたので、食べには行かないで、残ってる桃とかを食べたい人は適当に食べるということになり、みんなさっさと寝てしまいました。


昔は、何故フフホトに直接行かず張家口なんかに寄ったんだろうと不思議に思ってましたが、一応これに関しては、自分なりの答えを出しています。
思うに、我々子どもの体力を慮ってのことじゃないかと。
弟なんて当時1歳ちょっとですからね。
いきなり車で700kmを移動というのは酷だと思ったんじゃないでしょうか。

ま、もしかしたら他の理由があったのかもしれませんし、私の言ってることなんて、実は考慮の対象にもなってなかったのかもしれませんが、とりあえず私は、そう思うことにしています。



次回は多分フフホトに着きます。…寄り道しなければ。

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記念すべき異国での一泊目(笑)

というわけで、無事北京に到着です。
…ていうか、話のスピードが遅すぎて、この調子じゃいつ内モンゴルに着くことやら。

というわけで、もう少し話がスピーディーに展開していくように頑張ってみます。


とりあえず、港から街に出たことにより、ようやく外国に来たんだなあという感慨がちょっと湧いてきました。多分。
多分というのは、当時はそんなこといちいち考えていませんでしたからね。
今当時の自分の心情を思い返すにつけ、やっぱり多少思うところはあったんじゃないかと思ったわけです。

閑話休題。

子どもだった自分が抱いた、中国の第一印象は「汚い」でした(酷
まず港から見た海の水がめっちゃ汚い。
工業排水だか何だかのせいで黄土色と緑色を混ぜたようなどろどろの海。
空気は石炭臭いし(当時はただ臭いとしか思いませんでしたが、石炭の臭いなんだと後に知りました)。
その上、道路が整備されてなかったため、ものすごい勢いで土ぼこりが舞っていました。

そんなわけで、中国とのファーストコンタクトは、印象度で言えば恐らく最悪と言えるんじゃないでしょうか。
それが今に至るまで、15年もお付き合いすることになるんですから、分からないものですね。


ただ、悪いことばかりではなく、当時は禁止されていなかった(というかそれしかなかった)露店で買った桃は最高においしかったです。
洗わなきゃ駄目だと言われたんですが、皮についている汚れを手でごしごし擦って落とし、そのままかぶりついて食べました。
当時から、バイタリティだけはあったようです(笑)


北京には夜中に到着。
天津に着いたのが夕方の4時過ぎですから、たかが北京まで出るのにどんだけ時間かけてたんだ、と思いますね。

そんなわけで、その日は北京で一泊しました。
ホテルって感じではなく、日本の民宿を思わせる風情の宿でした。
トイレやシャワーは共同でしたし、今にして思えば、随分ショボイ宿だったんだと思います。
が、そこはそれ。
七歳のおこちゃまは、ホテルに泊まれるというだけで、大はしゃぎしていましたとさ。
あんまりはしゃぎすぎて、備え付けのふた付きコップを割ってしまい、弁償させられました(笑)
たしか10元取られたのかなあ。凄まじいボッタクリですな。
10元もあれば、当時なら5つは買えたでしょうね。

ちなみにこのホテル、というか旅館。
北京の都市化の波に呑まれ、随分前になくなってしまいました。
合掌。


…話のスピードが上がってないのは気のせいです。多分。
次…。次こそは…。

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もはや、いつ何をどこまで書いたのか覚えていない今日この頃。
十何ヶ月ぶりかの再開でございます。


というわけで、天津港に着いてからの話です。

今でこそネットやその他、情報網が発達し、十分な、あるいは過剰ともいえるほどの海外情報が飛び交っていますが、当時は海外と言うとまさしく「海外」という感じで、手に入る情報も、またその手段も限られていました。
自分の記憶では、旅行会社のパンフ以外では、「地球の歩き方」以外、あまり有力なものはなかったと記憶しています。
まあ、うちの親がいっつもそれを携帯していたため、いやでも目に入ったがために、幼かった自分に刷り込まれただけかもしれませんが(笑)

そんな状況だったので、行ったときの予備知識などはまったくなく、見るもの全てが新鮮に映ったと記憶しています。
どこに行くかも知らされていなかった(当たり前ですが、実際はちゃんと知らされていたようです。が、自分にはその記憶が全くありません。)んですから、予備知識もなにも、ないんですがね。


何が言いたいのかといいますと、早い話、扉の向こうには別世界が広がっていたということです。

港の建物はがらーんとしていて日本とは雰囲気が違うとか、空気が違う(石炭臭い)とか、税関の職員が怠慢だとか言っても、それは許容範囲というか、衝撃を受けるというほどのこともなかったんですね。

それが…。

外に出たらそこは、人、人、人。客引きの嵐。
これはもう、大げさでなく戦場でした。
とにかく強引。客を取るためなら何でもOKって感じ。

自分も何度か、荷物を持っていかれそうになりました。
置き引きとかじゃなく、ホントに持ってかれてしまうんですよ。
ちゃんと荷物を握っているというのに(笑)
人が荷物を手放せないことをいいことに、そのまま自分の車(タクシーorバス)のほうに引っ張ってっちゃうんですよね。
あれには、開いた口がふさがりませんでした。

あとねえ、タクシーなんかはすごいぼるんですよ。ぼったくり。
「北京まで900元ね」とか何とか言って、相場を知らない、初めて来たっぽい日本人留学生なんかを狙うんですよね。
500元もしないっつーの。
メーターついてんのに使おうとしないし、メーター使えと言うと壊れてるとか何とかごまかし、去ろうとしても荷物を放さない。最悪ですな。


バスにも落とし穴がありました。
それは、いつまで経っても発車しないということ。
安い運賃につられて(少なくともタクシーよりは格段に安い)乗り込みます。
で、いつまで経っても発車しない。何をしているのか。

満席になるまで客を呼び込んでいるんですよ。

1時間くらい経つと、さすがに待たされてるほうもおかしいなと気付くんですよね。
で、どうなっているのか聞くと「もうすぐ、もうすぐ」とか言うんですよ。
お前それ、何度目の「もうすぐ」なんだよって(笑)
満席になるか、周りに人がいなくなるとようやく発車します。
ふぅーやれやれ、と思ったら、途中で車を換えるとかで乗換えをさせられたり…。
…一応目的地にはちゃんと連れて行ってくれますけどね。


タクシーなら金、バスなら時間が、それぞれ無駄になるわけです
金か時間。究極の選択(笑)


ちなみに私は、最初の時は迎えが来てくれてました。
その後、二回目以降は常にこういった手合いと激闘を繰り広げることに(笑)
ただ、10回以上行っているので、5回目くらいからは顔を覚えられて、ぜんぜん寄り付かなくなりました。
あちらもプロですから、騙せないということが分かったんでしょうね。

今は、港からタクシーで10分くらいのところにあるバスターミナルから出ている、北京への定期便を使っています。
30分毎に出て、北京まで2時間。
一人42元と、割りと安くいけます。
中国のバスにしては、きちんと時間を守って走るバスなので重宝してます。

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プロフィール
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チョルモン
年齢:
31
HP:
性別:
非公開
誕生日:
1986/02/07
趣味:
競馬 野球 ビリヤード ボウリング テニス サッカー観戦 ゲーム 漫画 音楽鑑賞 料理 etc.
自己紹介:
1986年仙台生まれのエセ関東人。7歳時家の都合で中国内モンゴルへ。1年半の滞在でモンゴルにすっかり目覚める。以後単独で2度ほど留学。総滞在期間は約5年。5年も中国に居たくせに、中国語は日常会話程度しか覚えられず。モンゴル語だけ堪能に。初対面のモンゴル人に外国人だとバレたことがないのが自慢。現在は内モンゴルのフフホト市に潜伏中。フフホトでの生活も合計10年目に突入。

競馬歴:1996年頃から
1番好きな馬:スペシャルウィーク
1番好きなレース:97年天皇賞(春)
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